2016年12月25日
樽徳クリスマスコンサート
24日、樽徳商店でクリスマスのチェロ5重奏コンサートを開催しました。5人の演奏者がクリスマスにちなんだ曲をおよそ2時間にわたり演奏してくれました。チェロの心にしみわたる音色に、樽徳商店の社員とその子供たち孫たちは堪能しました。子供たちは演奏者からチェロの弾き方を学んだりで、いい体験だったと思います。休みの貴重な時間を使って演奏してくれた皆さん、本当にありがとうございました。
2016年12月19日
真田丸
NHKの大河ドラマ「真田丸」が昨日最終回だった。私は一度も見たことはなかったが、1年を通して高い視聴率で、大ヒットだったということです。
これまでも大河ドラマは、戦国時代や幕末維新の動乱期を舞台にしたものが多い。どのドラマも戦いに明け暮れた物語である。そして戦いで大勢の人間を殺したものがヒーローであり、視聴者はヒーローに喝采を送る。一方現代では、一応戦争はしてはいけないもの、避けるべきものということになっている。戦争で殺人を行うことに喝采を送るということは表向きは受け入れられない。戦国時代は領土を守るため、天下統一をするためだからやむをえないのか?幕末は、幕府を倒さないと列強に侵略されるからやむを得ないのか?やむを得ないから、敵を大勢殺した人がヒーローとしてドラマになるのか?現代でも、何らかのやむを得ない事情を作りだすことは可能である。そうなれば、戦争を肯定し、多くの敵を殺しことに多くの人が喝采を送るということもあながちありえないとも言えないように思う。
これまでも大河ドラマは、戦国時代や幕末維新の動乱期を舞台にしたものが多い。どのドラマも戦いに明け暮れた物語である。そして戦いで大勢の人間を殺したものがヒーローであり、視聴者はヒーローに喝采を送る。一方現代では、一応戦争はしてはいけないもの、避けるべきものということになっている。戦争で殺人を行うことに喝采を送るということは表向きは受け入れられない。戦国時代は領土を守るため、天下統一をするためだからやむをえないのか?幕末は、幕府を倒さないと列強に侵略されるからやむを得ないのか?やむを得ないから、敵を大勢殺した人がヒーローとしてドラマになるのか?現代でも、何らかのやむを得ない事情を作りだすことは可能である。そうなれば、戦争を肯定し、多くの敵を殺しことに多くの人が喝采を送るということもあながちありえないとも言えないように思う。
2016年12月18日
まちなみ写真展
下京区東部5学区が主催した写真展が渉成園で開催されました。明治時代から昭和50年代頃の懐かしい町並みの写真を住民が持ち寄った写真展です。大変ローカルな写真展ですので、あまり人が来られないのではと思っていましたが、開けてみると大盛況でした。会場にはお茶席も設けられ、近々当地区に移転してくる京都市立芸術大学の学生さんによる演奏会を聞きながら、渉成園の美しいお庭を背景に懐かしく、ゆったりした時間に
来場者は皆さん満足げでした。
来場者は皆さん満足げでした。
2016年12月12日
枯葉集め
比良山の麓の森で枯葉集めをしてきました。森林を伐採した後の裸地に木の苗床をつくるため、裸地に鋤き込む枯葉を集めるのです。3時間ほどで作業は終わり、焚火に仕込んだ焼き芋を頂いて帰りました。
ただ単に枯葉を集めて運ぶ単純な作業ですが、森の中で過ごす時間は、気持ちよく、癒されます。お金を使わず、健康的で、精神的にも癒され、スカッとした気持ちになることが身近でできるのに、それをやらずに、時間とお金を浪費している日々の生活を見直すいい機会になりました。
ただ単に枯葉を集めて運ぶ単純な作業ですが、森の中で過ごす時間は、気持ちよく、癒されます。お金を使わず、健康的で、精神的にも癒され、スカッとした気持ちになることが身近でできるのに、それをやらずに、時間とお金を浪費している日々の生活を見直すいい機会になりました。
2016年12月07日
外国語
本日、樽徳商店にブラジル人の女子大生が来られました。彼女は母国語のポルトガル語のほか、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語が話せるのですが、日本語は話せません。したがって英語で話そうとしましたが、簡単な英単語まで私の頭には残っておらず、今更ながら英会話能力の低さを痛感しました。孫たちには、しっかりと外国語を習得してほしいと願っています。
2016年12月05日
自動車事故
お見舞いに来た夫婦が病院に突っ込んできたタクシーによって命を奪われた悲惨な事故をはじめ、最近、自動車の暴走による事故が頻発している。その多くが高齢者によるアクセルとブレーキの踏み間違いとのことのようだ。歩道を歩いていても、交差点で信号待ちをしていても、自動車が突っ込んでこないかと不安である。
このような状況に対して、どのような対策が講じられているのか?高齢者の免許更新時の審査強化、免許返上の推進、自動運転自動車の開発等々であろうが、このような対策が講じられたとしても、事故はなくならないだろう。そして、年間数千人が交通事故によって死に、交通遺児が増え、家庭の崩壊が継続するだろう。今や、自動車がない生活、社会は考えられないということに異議をとなえはしない。しかし、生活に必要だから、社会に必要だからといって、この現状を仕方がないということで流されて行っていいのだろうか?後々の世代から、なんという世の中だったのかと言われるように思うのだが。
このような状況に対して、どのような対策が講じられているのか?高齢者の免許更新時の審査強化、免許返上の推進、自動運転自動車の開発等々であろうが、このような対策が講じられたとしても、事故はなくならないだろう。そして、年間数千人が交通事故によって死に、交通遺児が増え、家庭の崩壊が継続するだろう。今や、自動車がない生活、社会は考えられないということに異議をとなえはしない。しかし、生活に必要だから、社会に必要だからといって、この現状を仕方がないということで流されて行っていいのだろうか?後々の世代から、なんという世の中だったのかと言われるように思うのだが。